残留か離脱かーEU離脱論争の歴史的背景 ーマイケル・ハワード

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イギリスとEUとの関係を巡る昨今の議論が投げかける問題を理解するためには、ヨーロッパ大陸の隣国への私たちイギリスの姿勢が、500年にも及ぶ絶え間ない対立を経てどのように形成されてきたのかということを、まずは理解しなければならない。

11世紀のノルマン・コンクエストから数世紀にわたり、カトリック教会の影響力と、イングランドも多くの所有物の一つでしかなく、実際にはほぼフランス人だった当時の支配者の王朝的な野心によって、我々はヨーロッパ大陸と非常に密接な関係を保っていた。そして、宗教改革がそれまでの大陸との関係を一掃した。英仏の王家の対立により生まれたプロテスタントとカトリックとの間の根深い文化的な憎悪は、我々の社会の深層部分にまで及び、唯一の例外であるアイルランドを除いて、収束したのはやっと19世紀になってからである。

この頃までに、英仏それぞれの繁栄をますます左右するようになっていた海の覇権と植民地支配をめぐるフランスとの200年におよぶ争いによって、両国の文化的な対立は非常に根深いものとなった。それゆえ、スペインの無敵艦隊からナポレオンの大陸軍に至るまで、イギリスの繁栄と政治的独立のみならず、まさにイギリス文化に対する潜在的な脅威、そしてときに急速に迫り来る脅威に晒されながら、我々の先祖たちは生きてきたのであり、後の世代は長年にわたり学校や教会でそのことを教え込まれてきた。そして、ワーテルローの戦いによって目に見える脅威は一掃されたものの、ナポレオン戦争はイギリスとヨーロッパ大陸との文化的隔たりをかつてないほど深いものにした。ナポレオン亡き後に残されたヨーロッパは、フランスをモデルとした法律・行政システムにより過去にないほど統一されており、まったく馬鹿げたことに誰もが道路の右側を運転するようになっていた。

ナポレオンを破った後は、イギリスはより穏やかな姿勢で近隣諸国に向き合うことができるようになったが、1850年代はフランスに対して港湾を要塞化していた。19世紀には貿易と旅行者数が増加し大陸との緊密さは増したものの、急速に拡大していた大英帝国の海外植民地で得られるものとは比べものにならなかった。実際に、ヨーロッパ大陸はヴィクトリア朝時代のイギリス人の関心事ではなかったのだ。ナポレオン戦争以降、イギリスが最初に軍事的にヨーロッパに関与したのはクリミア戦争であるが、これは、拡張するロシアがインドでのイギリスの利権にとって脅威になっていたことが大きい。19世紀終わりにかけては、増大するドイツの力が懸念を生むようになるが、ビスマルク政権下のドイツはまだイギリスにとって生来の友好国のように思われた。ドイツがプロテスタント国家であることは、当時まだ意味があったし、ドイツはイギリスの天敵であるフランスを打ち破っている。また、ビスマルクの政策によってヨーロッパには20年ほどの平和がもたらされ、その間にイギリスは世界の他の地域への支配を強固なものにし、「光栄ある孤立」を謳歌していた。19世紀の大半を通じて、イギリスの人々はヨーロッパ大陸をトーマス・クック社が手配するツアーの行先くらいにしか考えておらず、異国での経験も、イギリスは世界とは言わないまでも、帝国を支配するのに相応しい超越した存在であるという国民の信念を強めただけであった。

ついに時代は第一次世界大戦を迎える。この悲惨な戦いにおいて、イギリスは再び大陸の同盟国の側に立って戦ったが、イギリス人は国王、国家、とりわけ大英帝国のために戦ったのであって、「ヨーロッパ」なるものの目的のために戦ったわけではない。第一次大戦への参戦によって、イギリスは実際には、壊滅的なヨーロッパから可能な限り距離を取り続けると固く決心しただけである。ベルサイユ条約締結の後、イギリスはフランスに対する軍事的支援を確約することを拒否し、これによって両国の関係は、互いに不平を言い合い、互いに敵意を持っていないか疑念を巡らすもとの姿に急速に戻っていった。ロカルノ条約でイギリスは、独仏国境の現状維持と相互不可侵を公式に請け負う立場に立ったが、それを担保するに十分な戦力は全く整備されなかった。ドイツが条約の履行義務に猛烈に反発しライラントを再占領した際、イギリス政府にはそれに対抗する力も意志もなかったのだ。リベラル派は何の力もない国際連盟と「集団的自衛権」という神話をただ信じていた。保守主義者たちの懸念は、数々の深刻な問題に直面する帝国を守ることであった。何よりも重要なことは、男性だけでなく、初めて決して少なくない数の女性が加わったイギリスの有権者は、西部戦線での惨劇を繰り返すことを何としても避けることを決意したことであり、有権者は選挙のたびにこの姿勢を鮮明にしてきたことだ。

そのため、1930年代に戦争の兆候がヨーロッパを覆い始めた頃、イギリスが優先したのは海と大英帝国の防衛であり、あらゆる脅威をイギリスの沿岸から遠ざけることが期待されていた空軍であり、それが失敗したときの民間防衛であった。大陸での戦争に本気で貢献する能力を持つような陸軍を作ることは、予算の問題だけでなく政治的にも論外であった。イギリス軍を実際に戦地に配備するにあたって参謀会談をフランスと行うべきであるという考えには参謀本部自体が強く反対した。1938年のミュンヘン会談の直後、フランスがイギリスに対して、本気で血を流す努力を覚悟しなければ大陸で同盟国を失うことになると明言したことで、初めてイギリス政府、そしてイギリス国民は、自分たちの生存が、繋がりを断ち切れないヨーロッパでの大戦の結果にかかっていることに改めて気がついた。よって、イギリス軍はどうしても信用できない同盟国を支援するために大陸での戦争に介入したのだ。

参戦直後の結果は悲惨であったが、それはほとんど安堵のようなものをもって受け入れられた。それはダンケルクからの撤退を勝利だと賞賛したように、軍事的な惨劇を勝利と考えたがるマゾヒスティックな国民性だけではなく、我々はそこに行くべきではなく、手に負えないほど間違った大陸との絡みあいから幸いにも逃れることができた、という本能的な確信があったからだ。国王ジョージ6世は、気を遣って満足させなければならない同盟国がもはやイギリスには存在しないことに安堵したと言ったが、それはまさしく国民の気持ちを代弁するものであった。そして「我々は自立している」と考えたわけだが、この自立という言葉に5億人の植民地住民を持つ大英帝国とアメリカからの経済支援は含まれない。戦争が進むにつれ、イギリスのイメージは一時的に孤立しているヨーロッパのオフショアに位置する国というより、むしろ第一言語を英語とするグローバルなコミュニティ(Anglophone community)の中心であり、戦争で荒廃した異質な大陸から不運にも20マイル圏内に位置している国、というふうに固定されていった。

イギリスが4年後に大陸に戻ったのは、まさに後者の立場であって、家族との再会を果たした者としてではなく、その時点で以前にも増して親密な関係を築いていたアメリカのパートナー —といってもやや格下であるが— としてであった。モントゴメリー元帥が率いたイギリス陸軍の大陸派遣部隊はヨーロッパの荒廃を哀れみと恐れをもって見ていたが、どれだけ同情しても、ヨーロッパの人々をイギリス人と同等とは考えてなかった。「ヨーロッパ人」とは、イギリスが過去に打ち負かしたり、敵から解放してきた人々であった。我々は上座におり彼らは違う。そして我々は可能な限り早期に自力で核兵器を開発することでそこに座る権利を得た。近隣のヨーロッパ諸国が経済と社会を再建する努力に我々は善意をもって賛成したが、我々はオブザーバーであり、決してそこに参加したわけではない。

10年のうちにこうした幻想は打ち砕かれた。帝国は徐々に崩壊していった。スエズ動乱の屈辱的な経験で、アメリカの国益がイギリスのそれとはかなり異なるということが明確となり、アメリカはイギリスの犠牲のうえに自らを主張することを全く躊躇しないということもはっきりした。しかし最も重要なことは、ヨーロッパ主要国の経済が復活を始め、イギリスの経済成長をあっという間に上回ったことだ。初期の欧州共同体に冷淡だったイギリスは慌てて加盟することになった。大陸を旅するイギリス人は増え、定住する者も現れた。英語もしくは米語は事実上の国際共通語であり、イギリス人はそれを全く勉強せずに社会で非常に上手くやっていくことができる。ビジネスと投資は拡大した。にもかかわらず、歴代の政権が欧州共同体への加盟交渉を良く言えば自然な成り行き、悪く言えば避けられない必然と理解していた一方で、イギリス国民のかなりの程度がそれを不必要な屈辱と考えてきたのだ。マーガレット・サッチャーがブリュッセルにおいてイギリスの国益を守ろうとした強硬姿勢は、彼女がフォークランド諸島を取り戻すという判断を下した時とほぼ同じ理由で、それに劣らぬ程の支持を得た。それはイギリスが再び偉大な国になったことを示すものであったからだ。

今日の議論はつまり、半世紀にわたり続いている議論の延長でしかない。EU残留支持派にも脱退支持派にも優れた議論がある。しかし、そうした議論の妥当性がどうであれ、イギリスは一連の歴史のなかで近隣諸国に疑念と嫌悪感を持つように国民を仕向けてきた。我々の歴史的遺産が示しているのは、良かれ悪かれそうした国と密接な関係を築かなければイギリスの繁栄はないと信じる者には、その立証責任があるということだ。

執筆者:マイケル・ハワード (キングス・カレッジ・ロンドン 名誉教授)


原文は、2016年5月20日付のRUSI Journalに掲載されたBetter in or out? The Historical background です。